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DEATH「死」とは何か

これは

シェリー・ケーガン先生が

イエール大学で行っている

講義をまとめた本で、

「死」についてを

哲学的な思考をふまえて書いています。

 

彼が23年にもわたって講義をしたものを

733ページに書き表したものなので、

その内容をすべて伝えることは難しいです。

 

ただ、

先ほど書いた福岡伸一先生の本と、

どこで繋がったのか

その部分だけをお伝えしようと思います。

 

 

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哲学の本と聞くと

難しく感じるかもしれませんが、

見出しを見れば

「死とは何か」

「私たちに魂があるのか」

「死は悪いものか」

「永遠に生きるのはいいことなのか」

「死ぬという事実を

 どう受け止めるべきか」

「死ぬという事実を

 踏まえてどう生きるべきか」

「自殺は許されるのか」など…

 

「死」について考える時に

避けて通れない大切な問題が

十分理解で切る言葉で

取り上げられています。

 

 

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その中で

繋がったと感じた部分こちらです。

 

『魂など存在しない。私たちは機会に過ぎない。

 もちろん、ただのありきたりの機械ではない。

 私たちは驚くべき機会だ。

 私たちは人格を持った人間だ。

 だが、それでも機会に過ぎない。

 そして機械は壊れてしまえばもうおしまいだ。

 死は私たちには理解しえない大きな謎ではない。

 つまるところ死は、

 電灯やコンピュータが壊れうるとか、

 どの機会もいつかは動かなくなる

 といったことを比べて

 特別に不思議な訳ではない。』

 

 ―  シェリー・ケーガン

 

 

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ケーガン教授は西洋的思想が、

福岡先生と私は東洋的思想が、

体に染みついているからなのでしょうか。

 

この言葉は私には本当の事とは思えず、

信じられなかったところです。

 

西洋にせよ東洋にせよ

「死」はタブーとされ、

他人と面と向かっては

話題にしずらいものです。

 

 

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彼が本書を書いた目的について、

 

『もし

 皆さんが本書の終わりに来た時に、

 あれやこれやの点で

 私に同意しなくても構いはしない。

 大切なのは、

 皆さんが自ら考えることだ。

 詩をしっかりと凝視し、

 私たちのほとんどが

 決してしないような形で

 死と向き合い、

 死について考えるよう促すことだ。』

 

と述べていることには大いに賛同しました。

 

 

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だから、

コロナウイルスのことに関しても、

風評や情報を鵜呑みにせず

自分で考え、

納得した行動をとるべきなのだ、

と思いました。